編集ガイドライン


1.当サイトが扱う対象について

このサイトが扱うのはローマ帝国(紀元前27-西暦1453)の古代末期から中世にあたる部分、すなわち330年のコンスタンティヌス1世によるコンスタンティノープル遷都のころから、1453 年のコンスタンティノープル陥落によるローマ帝国の滅亡までである。また、1204年から 1461年までのローマ帝国の皇族であったギリシャ人達が建てた諸国家(ニカイア帝国、ト レビゾンド帝国、エピロス専制公国など)も対象とする。


2.サイトの目的

1. 日本におけるビザンティン文明の認知度向上を図る
2. ビザンティン帝国関連の学術研究やサイト作成の促進を図る
3. ビザンティンを研究・愛好する者同士の交流を図る。将来的には実体のある「同好会」結成を目指す


3.記述および運営方針

1. 出来る限り多くの方にビザンティンを知って頂くために、極力平易、かつ簡潔にまとめるよう心がける。
2. 記述にあたっては学術書等の書籍・資料を元にし、信頼性の高い情報を提供するよう心がける。また、安易に個人的見解を述べないよう留意する。参考として用いた書籍・資料・ネット上の資料については、学術論文やレポートの体裁に従い必ず明示する。
3.現代の政治および宗教・民族における紛争に関しては、中立の立場で臨み、特定の国家・宗教・団体等に偏った記述等はしないよう心がける。また掲示板等でそういう発言をするものに対しては厳正に対処する。

4.国名・地名・人名の表記について

 Introductionでも触れたとおり、通常この時代のローマ帝国は「東ローマ帝国」「ビザンティン帝国」あるいは「ビザンツ帝国」と呼ばれているが、「ビザンティン(英語の形容詞)」「ビザンツ(ドイツ語の名詞。ただし正確なドイツ語の発音に近い読み方では”ビュツァンツ”)」ともに正式な国の名称ではないためどちらもわが国では併用されている。このページでは、
  1. 管理者が最初に帝国に出会った本が井上浩一氏の「生き残った帝国ビザンティン」であったという個人的な理由
  2. 歴史学以外の美術、建築、宗教などの分野では「ビザンツ」より「ビザンティン(あるいはビザンチン)」の方が一般的なため
  3. 「ビザンツ」自体がドイツ語の発音と合っていない

という3つの理由から主に西ローマ帝国滅亡までを「東ローマ帝国」、それ以降は「ビザンティン帝国」という呼称を用いることにする。

 また、その他の国名についてはわが国では慣用となっている呼称を用いるが。イギリスと神聖ローマ帝国については、、それぞれ主に「イングランド(ビザンティン帝国が存在した頃は当時はまだスコットランドは別の国だったため)」「ドイツ(”神聖ローマ帝国”はあくまでも西欧側の僭称と考えるため)を用いることとする。

 帝国の皇帝その他の人名については、帝国の公用語の変化に合わせてユスティニアヌス朝まではラテン語表記、ヘラクレイオス朝以降はギリシャ語表記とする。なお使用するギリシャ語表記については、尚樹啓太郎著「コンスタンティノープルを歩く」「ビザンツ帝国史」(ともに東海大学出版会)では、ビザンティン帝国で使われた中世ギリシャ語は、古代ギリシャ語から現代ギリシャ語への過渡期の言葉であったという観点から現代ギリシャ語の読み方(古典ギリシャ語読み:ヘラクレイオス→現代ギリシャ語読み:イラクリオス。など)を用いているものの、その表記方法は一般的ではない故に専門家以外の人間を混乱させることになりかねないため、ここでは慣用となっている読み方(古代ギリシャ語に近い読み方)を用いることとする 。
 ギリシャ語の地名についても基本的には、ニカイア(中世ギリシャ語ではニケア)などの様に慣用となっている古典ギリシャ語に近い読み方を用いることとする。ただしアレクサンドリア(古典ギリシャ語ではアレクサンドレイア)、アンティオキア(同アンティオケイア)の様に古典ギリシャ語よりも後の読み方が一般化している場合は一般的な読み方に従うものとする。また、アドリアノープル(ラテン語:ハドリアノポリス、ギリシャ語:アドリアノポリス)、コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)の用にラテン語やギリシャ語ではない呼び方のほうが一般化している場合も一般的な読み方に従うものとする。




| HOME | Introduction | ビザンティン帝国史 | 国制と社会 | 帝国と諸民族 |
| 東方正教とビザンティン文化資料集リンク集ゲストブックと掲示板


Copyright(C)2003-2005 コンスタンティノープルからの使者(The envoy from Constantinople) All Rights Reserved.