- 管理者が最初に帝国に出会った本が井上浩一氏の「生き残った帝国ビザンティン」であったという個人的な理由
- 歴史学以外の美術、建築、宗教などの分野では「ビザンツ」より「ビザンティン(あるいはビザンチン)」の方が一般的なため
- 「ビザンツ」自体がドイツ語の発音と合っていない
という3つの理由から主に西ローマ帝国滅亡までを「東ローマ帝国」、それ以降は「ビザンティン帝国」という呼称を用いることにする。
また、その他の国名についてはわが国では慣用となっている呼称を用いるが。イギリスと神聖ローマ帝国については、、それぞれ主に「イングランド(ビザンティン帝国が存在した頃は当時はまだスコットランドは別の国だったため)」「ドイツ(”神聖ローマ帝国”はあくまでも西欧側の僭称と考えるため)を用いることとする。
帝国の皇帝その他の人名については、帝国の公用語の変化に合わせてユスティニアヌス朝まではラテン語表記、ヘラクレイオス朝以降はギリシャ語表記とする。なお使用するギリシャ語表記については、尚樹啓太郎著「コンスタンティノープルを歩く」「ビザンツ帝国史」(ともに東海大学出版会)では、ビザンティン帝国で使われた中世ギリシャ語は、古代ギリシャ語から現代ギリシャ語への過渡期の言葉であったという観点から現代ギリシャ語の読み方(古典ギリシャ語読み:ヘラクレイオス→現代ギリシャ語読み:イラクリオス。など)を用いているものの、その表記方法は一般的ではない故に専門家以外の人間を混乱させることになりかねないため、ここでは慣用となっている読み方(古代ギリシャ語に近い読み方)を用いることとする
。
ギリシャ語の地名についても基本的には、ニカイア(中世ギリシャ語ではニケア)などの様に慣用となっている古典ギリシャ語に近い読み方を用いることとする。ただしアレクサンドリア(古典ギリシャ語ではアレクサンドレイア)、アンティオキア(同アンティオケイア)の様に古典ギリシャ語よりも後の読み方が一般化している場合は一般的な読み方に従うものとする。また、アドリアノープル(ラテン語:ハドリアノポリス、ギリシャ語:アドリアノポリス)、コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)の用にラテン語やギリシャ語ではない呼び方のほうが一般化している場合も一般的な読み方に従うものとする。
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