ローマ(ビザンティン)帝国
歴代皇帝一覧表

*1 数字は在位年です(名目的な共同統治者としての時期はのぞいてあります)。
*2 名前はフォカス帝までラテン語読み、ヘラクレイオス帝以降はギリシャ語読みです。
*3 なお、ギリシャ語名についてですが、尚樹啓太郎著「コンスタンティノープルを歩く」「ビザンツ帝国史」(ともに東海大学出版会)等では、ビザンティン帝国で使われた中世ギリシャ語は、古代ギリシャ語から現代ギリシャ語への過渡期の言葉であったという観点から現代ギリシャ語に近い読み方を用いていますが、ここでは慣用となっている読み方(古代ギリシャ語に近い読み方)を使っています。
*4 一部でギリシャ語をラテン文字化しているために、スペリングに誤りがある可能性がありますのでご注意下さい。

なお、2つの読み方の対象の例は以下の通りです(左が古代)。

ヘラクレイオス

イラクリオス

ミカエル

ミハエル

ヨハネス(ヨアンネス)

ヨアニス

バシレイオス

ヴァシリオス

コンスタンティノス

コンスタンディノス

イサキオス

イサアキオス

 

ビザンティン皇帝の綽名

付録:テサロニケ王国・テサロニケ帝国・トレビゾンド帝国

共同皇帝・対立皇帝一覧表

歴代王朝系図
(制作:KUBO様)



テオドシウス王朝

アルカディウス

Arcadius

395-408

テオドシウス2世

Theodosius U

408-450

マルキアヌス

Marucianus

450-457



レオ王朝

レオ1世

Leo T

457-474

レオ2世

Leo U

474

ゼノン

Zenon

474-475,476-491

アナスタシウス1世

Anastasius T

491-518

*ゼノンはレオ1世の娘婿(レオ2世の父親)、アナスタシウスはレオ1世とは血縁関係が無い。


ユスティニアヌス王朝

ユスティヌス1世

Justinus I

518-527

ユスティニアヌス1世(大帝)

Justinianus I

527-565

ユスティヌス2世

Justinus U

565-578

ティベリウス2世コンスタンティヌス

Tiberius U Constantinus

578-582

マウリキウス

Maurikius

582-602(廃位)

フォカス

Phokas

602-610(廃位)

*ユスティヌス1世と血縁関係があるのはユスティヌス2世まで。 ティベリウス2世はユスティヌス2世の養子、マウリキウスはティベリウス2世の娘婿である。


ヘラクレイオス王朝

ヘラクレイオス

Herakleios

610-641

コンスタンティノス3世

Konstantinos V

641

ヘラクロナス

Heraklonas

641(廃位)

コンスタンス2世"ポゴナトス"

Konstans U

641-668(暗殺)

コンスタンティノス4世

Konstantinos W

668-685

ユスティニアノス2世"リノトメトス"

Justinianos U Rinotmetos

685-695 (廃位)

レオンティオス

Leontios

695-698 (廃位)

ティベリオス3世アプシマロス

Tiberios V

698-705(廃位)

ユスティニアノス2世(復位)

Justinianos U Rinotmetos

705-711 (廃位)

フィリピコス・バルダネス

Philippikos Bardanes

711-713 (廃位)

アナスタシオス2世

Anastasios U

713-715

テオドシオス3世

Theodosios V

715-717

*ヘラクレイオスの血統はユスティニアノス2世まで。


イサウリア(シリア)王朝

レオーン3世

Leon V

717-741

コンスタンティノス5世"コプロニュモス"

Konstantinos X

741-775

レオーン4世"ハザロス"

Leon W

775-780

コンスタンティノス6世

Konstantinos Y

780-797(廃位)

エイレーネー(女帝)

Irene

797-802(廃位)

ニケフォロス1世

Nikephoros T

802-811(戦死)

スタウラキオス

Staurakios

811(廃位)

ミカエル1世ランガべー

Michael T

811-813

レオーン5世"アルメニコス"

Leon X

813-820(暗殺)

* レオーン3世の血統はコンスタンティノス6世まで。


アモリア王朝

ミカエル2世"トラヴロス"

Michael U

820-829

テオフィロス

Theophilos

829-842

ミカエル3世"メスィソス"

Michael V

842-867(廃位)



マケドニア王朝

バシレイオス1世

Basileios T

867-886

レオーン6世"フィロソフォス"

Leon Y Phirosophos

886-912

アレクサンドロス

Alexandros

912-913

コンスタンティノス7世"ポルフュロゲネトス"

Konstantinos Z Porphyrogennetos

913-959

ロマノス1世レカペノス

Romanos TLekapenos

920-944(廃位)

ロマノス2世

Romanos U

959-963

ニケフォロス2世フォカス

Nikephoros U Phokas

963-969(廃位)

ヨハネス1世ツィミスケス

Johannes T Tzimiskes

969-976

バシレイオス2世"ブルガロクトノス"

Basileios U Bulgaroktonos

976-1025

コンスタンティノス8世

Konstantinos [

1025-1028

ロマノス3世アルギュロス

Romanos VArgyros

1028-1034(暗殺)

ミカエル4世"パフラゴニオス"

Michael W Paphlagonios

1034-1041

ミカエル5世"カラファテス"

Michael X Kalaphates

1041-1042(廃位)

ゾエ・テオドラ(女帝共治)

Zoe,Theodora

1042

コンスタンティノス9世モノマコス

Konstantinos \ Monomachos

1042-1055

テオドラ(女帝)

Theodora

1055-1056

ミカエル6世ストラティオティコス

Michael Y Stratiotikos

1056-1057 (廃位)

イサキオス1世コムネノス

Isakios TKomnenos

1057-1059

*ロマノス1世、ニケフォロス2世、ヨハネス1世、ロマノス3世、ミカエル4世、ミカエル5世、コンスタンティノス9世、ミカエル6世、イサキオス1世はマケドニア王朝の血統ではない。


ドゥーカス王朝

コンスタンティノス10世ドゥーカス

Konstantinos ] Dukas

1059-1067

エウドキア・マクレンボリティサ
(摂政・コンスタンティノス10世の皇后)

Eudkia Makrenboritissa

1067-1068

ロマノス4世ディオゲネス

Romanos W Diogenes

1068-1071(廃位)

ミカエル7世ドゥーカス"パラピノ"

Michael Z Dukas Parapino

1071-1078

ニケフォロス3世ボタネイアテス

Nikephoros V Botaneiates

1078-1081



コムネノス王朝

アレクシオス1世コムネノス

Alexios T Komnenos

1081-1118

ヨハネス2世コムネノス

Johannes U Komnenos

1118-1143

マヌエル1世コムネノス

Manuel T Komnenos

1143-1180

アレクシオス2世コムネノス

Alexios U Komnenos

1180-1183(廃位)

アンドロニコス1世コムネノス

Andronikos T Komnenos

1183-1185(廃位)

* アレクシオス1世はイサキオス1世の甥である。


アンゲロス王朝

イサキオス2世アンゲロス

Isakios U Angelos

1185-1195(廃位)

アレクシオス3世アンゲロス

Alexios V Angelos

1195-1203

イサキオス2世(復位)

Isakios U Angelos

1203

アレクシオス4世アンゲロス

Alexios W Angelos

1203-1204(廃位)

アレクシオス5世ドゥーカス "ムルヅフォロス"

Alexios X Dukas Murtzupholos

1204(廃位)

コンスタンティノス・ラスカリス

Konstantinos Laskaris

1204

*1 アンゲロス家はコムネノス家とは姻戚関係であったため、王朝名としてはコムネノス朝を名乗ったという説がある。
*2 コンスタンティノス・ラスカリスは、十字軍による攻撃の最中にくじ引きで皇帝に選ばれたものの、たった一晩で首都から逃亡したため皇帝として扱わないこともある。


ラテン帝国(西欧人による十字軍国家)

ボードゥアン1世

Baudouin T

1204-1205

アンリ・ド・エノー

Henri

1206-1216

ピエール・ド・クルトネー

Pierre de Courtnay

1217-1219

ロベール・ド・クルトネー

Robert de Curtenay

1221-1228

ジャン・ド・ブリエンヌ

Jean de Brienne

1228-1237

ボードゥアン2世ド・クルトネー

Baudouin U de Courtnay

1237-1261



ニカイア帝国(ラスカリス王朝)

テオドロス1世ラスカリス

Theodoros T Laskaris

1204-1222

ヨハネス3世ドゥーカス・バタヅェス

Johannes V Dukas Vatatzes

1222-1254

テオドロス2世ラスカリス

Theodoros U Laskaris

1254-1258

ヨハネス4世ラスカリス

Johannes W Laskaris

1258-1261(廃位)



パライオロゴス王朝

ミカエル8世パライオロゴス

Michael [ Palaiologos

1261-1282

アンドロニコス2世パライオロゴス

Andoronikos U Palaiologos

1282-1328(廃位)

アンドロニコス3世パライオロゴス

Andoronikos V Palaiologos

1328-1341

ヨハネス5世パライオロゴス

Johannes X Palaiologos

1341-1376(廃位)

ヨハネス6世カンタクゼノス

Johannes Y Kantakouzenos

1347-1355(廃位)

アンドロニコス4世パライオロゴス

Andoronikos W Palaiologos

1376-1379(廃位)

ヨハネス5世パライオロゴス(復位)

Johannes X Palaiologos

1379-1391

ヨハネス7世パライオロゴス

Johannes Z Palaiologos

1390
(1399-1402、摂政)

マヌエル2世パライオロゴス

Manuel U Palaiologos

1391-1425

ヨハネス8世パライオロゴス

Johannes [ Palaiologos

1425-1448

コンスタンティノス11世ドラガセス

Konstantinos XI Doragases

1449-1453(戦死)

*1 コンスタンティノス11世は、マヌエル2世の子だが、母方の姓゛ドラガシュ(セルビア君侯家)゛のギリシャ語形゛ドラガセス゛を名乗った。
*2 1204年のコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱う場合には、コンスタンティノス11世は12世となる。


ビザンティン皇帝の綽名

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