「トルコ三大文明展オフ会」報告

「トルコ三大文明展オフ会」概要
日 時 2003年9月27日(土)
参加者 コンスタンティノープルからの使者(当サイト管理者)
フェニックス様(当サイト賛助会員・"Phenix Palace"管理者)
偏屈爺様("ローマ皇帝のページ"管理者)
ご参加のお二人には、心より厚く御礼申し上げます。
 去る9月27日(土)に、当サイト初のオフ会「トルコ三大文明展オフ」を実施しました。人数が少ないので、どちらかというと「プチ・オフ」でしたが。
 
 
 午後2時半過ぎ上野・東京都美術館に行った我々を待ちうけていたのは、ものすごい人ごみと「入場まで20分待ち」のプラカード。
 いくら最終日前日とは言え、ここまで混雑してるとは…。


@ヒッタイト文明
 
 コーナーに入ってすぐに年表があったのだが、ここで我々は衝撃的な事実を目の当たりにした。
 三大文明それぞれの興亡を示した表が

ササン朝ペルシャ C 正統カリフ時代
ビザンツ帝国

となっていたのだ。
 これは歴史的新発見である。なんと皇帝ヘラクレイオス(在位:610-641)はササン朝ペルシャを征服し、ローマ帝国は北アフリカからイランに至る広大な領土を手にしていたのだ!
敬虔なるローマ人の征服者、ヘラクレイオス万歳!第2のアレクサンドロス!ヘラクレイオス、輝かしき勝利者!(笑)
って、こんな、教科書見ればすぐに分かるようなミスするなよなぁ…(*)。


 当のヒッタイトについては、古代エジプトとの書簡などの貴重な粘土板があったものの、「鉄の帝国」ヒッタイトなのに、土製や青銅製の遺物ばかりでなんだか物足りない気が。

*-ササン朝ペルシャ帝国は、642年のニハーヴァンドの戦いでイスラム帝国に敗れて崩壊し、651年に滅亡した。

Aビザンツ文明(注:ビザンティン・東ローマ帝国・中世ローマ帝国とも言う)
 さて、やってまいりました肝心要のビザンツ文明!
 コーナーの入り口はヨハネス2世夫妻のモザイク画でしたが、入った途端にヘレニズム彫刻がずらり。
 前々から聞いていたこととはいえ、おいおい、そりゃないだろうと…。
 
 ここで、展示室は一階上のフロアに上がる構成になっているのですが、上に上がると今度は古代ローマ時代(笑)。あのなぁ…。
 
 その次にようやくビザンツ(ビザンティン)時代の遺物になるのですが、スペースはほんの一部屋で展示物も、まぁ少ないこと…唯一の見物といえたのはヘラクレイオス朝からイサウリア(シリア)朝時代を中心とする歴代皇帝の金貨でした(古代末期のレオ1世、フォカス、コンスタンス2世、コンスタンティノス4世、ユスティニアノス2世とティベリオス、レオンティオス、フィリッピコス・バルダネス、レオーン3世とコンスタンティノス5世、コンスタンティノス6世、マケドニア朝のコンスタンティノス8世の諸帝)。
 特徴としては、ヘラクレイオス朝〜イサウリア朝の金貨は、
 
  1. 帝国が危機的状態に陥っていた時代にもかかわらず、金の純度があまり変わってないように見えること
  2. 裏の十字架の意匠がずっと同じ
 で、あったことと、"ポゴナトス(髭の)"というあだ名を持つ、コンスタンス2世(在位:641-668)の金貨には、ちゃんと髭をつけた皇帝像が刻まれていたのが印象的。
 他には7世紀のサファイヤ・リングと、6世紀の金のメダリオンくらいがせいぜいの見物で、あとは…。
 それにしても、コーナー入り口の説明を読んで「ビザンツって東ローマ帝国のことかぁ」と言ってた人が少なからずいたのが悲しい…知名度の無さを改めて実感させられました。


Bオスマン文明
 さすが、この展覧会のメイン。トプカプ宮殿博物館の宝物が沢山。素人でも納得のいく、非常にわかりやすい展示物がずらり!
 それにしても、中国製の陶磁器に金細工をつけて改造してしまうとは…。どうもトルコ人は光り輝いてないとダメなんだろうか。


  その後御茶ノ水に移動し、私が学生時代の人間とよく行っている店(ビザンティンと全然関係無い)で飲み会となったのですが、なんか管理者がやたらと喋ってるだけだったような気も(お二人とも、すみませんでした)。

 次にビザンティン関連の展示物が来るのは何時になるか分かりませんが、折を見て再度オフ会をやりたいと思っております。


| HOME | ごあいさつ | Introduction | ビザンティン帝国史 | 国制と社会 | 帝国と諸民族 |
|
東方正教とビザンティン文化資料集 | リンク集ゲストブックと掲示板

Copyright(C) 2003 コンスタンティノープルからの使者(The envoy from Constantinople)
第1回 プチ・オフ会報告