情報募集について

 
当サイトは、素人が「ビザンティンのサイトがないから作ろう」という動機だけで作り始めたサイトです。したがって専門的な情報の収集能力に付いては非常に難がございます。そこで、サイト作成に必要な情報を研究者の方や大学等で専攻している(されていた)方や個人的にビザンティン帝国について調べておられる方から情報等をお寄せ頂けたら幸いでございます。

現在募集中なのは、

トレビゾンド帝国史


日本語で詳しく書かれたものがまるでないのがメガス・コムネノス家のトレビゾンド帝国。私が知っているのはビザンティン帝国本体よりも長生きしたことと、その創建と滅亡の経緯くらいです。皇帝の一覧を見ると、ビザンティン帝国お決まりの帝位争いが多かった国のように思えますが、実際どんな歴史をたどった国なのでしょうか?


帝国の軍隊(特に海軍)-編成・装備・変遷など


「メン・アット・アームズ」くらいしか日本語の参考文献を知らない……。帝国存続の大きな鍵であったはずの海軍に至っては全滅状態。何度か「元老院」でも話題になった内容ですが、どなたかお詳しい方はいませんか?


帝国官僚の登用法と登用後たどる道


中国の諸王朝と比較されやすいビザンティンの官僚制ですが、中国のような科挙制度のないこの国でいったいどうやって官僚はリクルートされていたのでしょうか?帝国大学の卒業者だけってことでもないし、やっぱりコネ?そして官僚に登用された人は一体どういう地位からスタートして、どういうコースをたどることが多かったのでしょうか?

ビザンティン人は古代ギリシャ・ローマを何だと思ってたのか?
ギリシャ人が「ローマ人」と称していたこの国で、古代ギリシャとローマの歴史はどう考えられてたのでしょうか?皇帝を年代記でトラヤヌスやカエサルになぞらえたかと思えば、私の記憶だと「テミストクレスの再来」みたいに表現していたものもあったような気が……。しかも良く考えてみれば、古代ローマの創建者とされるロムルスって、ギリシャ人に滅ぼされたトロイの子孫ってことになってたはず。いったいどう説明されたのでしょう?

です。


その他、
などの情報もお待ちしております。

さて、ここまで読んで「こいつ、そんなことも知らないの?仕方がないから、教えてやるぜ」と思った方、あるいはもっと好意的にご協力頂ける方がいましたら、メールで情報をお寄せ下さい。なお、「元老院」への書きこみでも可です。また、一部の方がやって下さっているようにコンテンツと言う形でhtml形式でお寄せ下さってもかまいません(その際は書式等は当サイトのスタイルにそろえさせて頂きます。また勝手に当「同好会」の特別賛助会員・元老院議員に登録させて頂きます)。ただし、以下の注意事項は必ずお守り下さい

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